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いくつになっても今日がはじまり

羽生章洋の個人的な記録

「らしさ」の呪縛

自分らしさとか我社らしさとか、はたまた、子供らしく・大人らしく・社長らしく・社会人らしく・学生らしく。主婦らしく、なんてのもありますね。あるいは、大阪らしくとか日本らしくとか。とにかく色々と「らしさ」というものが語られます。

一方で、この「らしさ」というものに囚われてしまうとそれが呪縛となってしまい、逆に心が萎縮して行動ができなくなり、結果として自分らしさを見失ってしまうのではないかと感じるケースも多々見受けられます。

よくよく考えてみれば「らしさ」というのは割と曖昧で、「自分らしい」と「自分である」とでは確信や覚悟に随分と差があるようにも思えます。個人的な感覚だと「である」と断言しようとすると、ぎゅっと核心にまで絞り込んでいかないと、なかなか言い切れないように感じます。逆にそこまで絞り込んだ末の断言や核心は非常に強いものとなり、結果として周囲から「らしい」と感じてもらえるようになる気がするのです。

「らしさ」を言い出したら、実はそれは行き詰まりのサインなのかもしれない。そんなことを感じたりする次第です。