いくつになっても今日がはじまり

羽生章洋の個人的な記録

個人の時代

ここ数年、ソーシャルがブームです。ITの界隈においては今年の前半などは、「ソーシャル」「クラウド」「スマートフォン」が三種の神器くらいの勢いで、このどれかのキーワードを入れておくと"イケてる"という雰囲気が演出出来たくらいでしょう。さすがに震災後は、様子が変わってきたように感じますが…。

その中でもソーシャル。私もfacebookやyammerやtwitterなどを少しかじったりして、あるいは特にfacebookなどは「あーなるほど、こういう利点があるのね」と、mixiとはまた違う感じで使わせていただいてます。Google+やLinkedInなどは一応アカウントはあるものの、正直全然使ってません。

このソーシャルネットワークという仕組みは、既存の組織/コミュニティを破壊し、剥き出しとなった個人を繋ぎ直すものであると、個人的にですが感じられるようになってきました。なるほど、これを革命だというふうに盛り上げたくなる気持ちも分からなくはないという感じです。

さて、そうすると破壊される既存の組織/コミュニティとは何か。国家であり企業であり、そしてそれらの原単位である地域や家族であろうと思えるのです。となれば、これらのよすがを失った個人は、既存の組織/コミュニティに頼ることが出来ませんから、これまで以上に「自主」「自立」「自律」「自尊」「自信」を求められることになります。つまり、ソーシャルの時代になるからこそ、これまでより一層パーソナルな部分を強化していく必要があるのではなかろうか、と。そんな風に考えたりしています。

リビアの政変にソーシャルネットワークが活躍したと言われたりしています。現実にどれほどの影響力だったのかはわかりませんが、嘘ではないでしょう。また世界の経済が危機的であると伝えられ、日本という国は震災以降も残念ながら政治のリーダーシップが皆無であり、ソーシャルネットワークの有無に関わらず、国や企業等に頼ることが出来ない時代を迎えつつあるのは、無視できない状況なのではないかと感じています。

幸か不幸か、ITというものに少し関係を持つ仕事をしてきたおかげで、微力ながらも自分が何かをやれるのかもしれないと模索することは出来そうな気がしています。勘違いなのかもしれませんけど。何より、自分自身が今後の世界でどうやって生き抜いていくのか、ということを考えると、他人ごとのようにしてることも出来ません。子供達も大きくなってきてますし、彼らの世代に何を残せるのかというのは、親として切実な気持ちです。

自分がこれから、例えば10年の後に何を為し得るのかということについて、個人のお役に立つという観点から色々と模索していきたいなぁと、そんなことを思ったりしています。