いくつになっても今日がはじまり

羽生章洋の個人的な記録

トレードオフ

人生、色んなケースで決して行けないもう一つの道というのがあるように感じます。私は、両親が亡くなって久しいのですが、二人共比較的若いうちだったおかげで、ボケるということが無いままに逝きました。一方で、私よりも年長の知人などの話を聞くとまだまだご両親ともご健在ながら、ちょっとボケてきてる感じがしてて不安だというケースもあります。

私は40代になったときには既に両親がいなかったので、60代になっても親御さんが生きてらっしゃるというのは率直に羨ましく感じます。一方で、自分が年老いた状態で両親を介護しないといけないとなると、果たしてどうだろうか、という気持ちにもなります。

私は今年で44歳になりますが、高校の時の同級生は子供が既に成人しているという人もいます。若い時にはやはり苦労したらしいのですが、子供が独立してここから先は気楽な気分だというのを聞くと、我が身を振り返れば一番上の娘がようやくこの春に高校生になる状態で息子に至ってはまだ小学生ですから、これまたいいなぁと感じます。とはいえ、若い時に育児の苦労が出来ただろうかと思うと、これまたどうだろうか、という気持ちです。

当然ながら、子供がいないという暮らしは今の私には想像できません。子供はもう本当に愛おしいです。一方で、子供はいないけど夫婦で仲良くいつまでも初々しく過ごしている方も知ってますから、その楽しさというのは残念ながら得られないものでもあります。

他にも色んなケースで、こちらを選んだからあちらは二度と経験できない、ということがあります。得るものもあれば失うものもあります。過去を振り返って色んな事を思ったりもするのですが、両方の美味しいトコ取りというのは残念ながら出来ないことも多いのが現実です。であれば、せめてこの道筋を良い選択だったと思えるようにしていきたいなぁ、と、そんなことを思ったりしています。

「らしさ」の呪縛

自分らしさとか我社らしさとか、はたまた、子供らしく・大人らしく・社長らしく・社会人らしく・学生らしく。主婦らしく、なんてのもありますね。あるいは、大阪らしくとか日本らしくとか。とにかく色々と「らしさ」というものが語られます。

一方で、この「らしさ」というものに囚われてしまうとそれが呪縛となってしまい、逆に心が萎縮して行動ができなくなり、結果として自分らしさを見失ってしまうのではないかと感じるケースも多々見受けられます。

よくよく考えてみれば「らしさ」というのは割と曖昧で、「自分らしい」と「自分である」とでは確信や覚悟に随分と差があるようにも思えます。個人的な感覚だと「である」と断言しようとすると、ぎゅっと核心にまで絞り込んでいかないと、なかなか言い切れないように感じます。逆にそこまで絞り込んだ末の断言や核心は非常に強いものとなり、結果として周囲から「らしい」と感じてもらえるようになる気がするのです。

「らしさ」を言い出したら、実はそれは行き詰まりのサインなのかもしれない。そんなことを感じたりする次第です。

落ち着いてきた

最近、忙しいのか暇なのか自分でもよく分からない状況が続いてました。毎週金曜日の5時半に家を出て沖縄に出張して、翌日土曜日の午後に帰ってくるというのを続けてました。ドッタンバッタンしてて、決して負荷が高いわけじゃないんですが、色んな事を考えさせられることが多くて、あれよあれよという間に時間が過ぎてしまいました。徐々に仕込んできたことも表に出して行けそうなところに近づいてきたので、引き続き頑張っていきたいなぁ、と思ったりしています。

最近は、∀ガンダムとマクロス7がマイブームですw 情熱とか熱血とかいいですね(^^) 色々とまたここにも書いていこうと思います。あ、別にアニメの話じゃなくて(^^;

風邪引いた

体を動かしてて最近調子いいです、などと書いたのがフラグだったのか。先週の金曜日あたりから風邪引いちゃいました。リンパが痛くて熱っぽくて気管支がぜぃぜぃ言う状態が続いてます。おかげでこの週末はひたすら寝てました。さすがに腹筋などをする余裕も無いと言うか、余計なことをするとそのまま呼吸困難になりそうな勢いです。

世間ではインフルエンザが猛烈に流行ってるとのこと。皆様、くれぐれもお気をつけくださいませ。

目標設定の健全性

前回の続きネタですが。引き続き、毎日少しずつ体を動かしています。体重そのものはさほど変わらないのですが、明らかに自分で体調が変わってきたことを実感しています。周囲の人にも顔色が良くなってきたと言われるようになってきました。何よりも、体を動かすのが楽しくなってきた自分を感じていて、いつも飽き性でダイエットに挫折してきた身としては、我ながら不思議です。

では何故続くんだろうか。これはやはり「痩せなきゃならない」ではなくて「健康になりたい」という風に目標設定されたからという気がしています。もっというと実は「痩せたい」とは思えないのですね多分。前回も書いたように、痩せてた当時に良い思い出があるならともかく、痩せてたときはいじめられっ子だったりした時期と重なっていて、あの頃の体型になったからといって何がいいのかわからんというのが本音なんだなぁと思うようになりました。

かといって、太りたいとも思ってないのですね。ただ結果として、痩せてたときよりも色んな意味で良い思い出が多いので、痩せちゃうとそれを失うイメージも心の奥にはあるのでしょう。案外保守的ですから私w

健康になりたい、という目標は自分で言うのも何ですが、健全な目標のように感じます。そこにプチ成功体験を得た今は、では仕事における「健康になりたい」とか人生における「健康になりたい」に相当する、健全な目標設定とはどういうものかということに俄然興味が出てきました。

目標設定が大切だ。ビジョンが、とか、ミッションが、とかよく言われます。私自身も何度となくそういうことを口にしてきました。ではその目標の健全性とは何ぞや。この年になってようやくそんなことを考えるあたり、これまで何とも安っぽい人生を送ってきた気もしますが、ようやく人生後半戦の楽しみが感じられるようになってきたようにも思えます。

運動

最近、毎日いくつかの体操めいたことをしてます。ここ数年、体重を減らさなきゃということを考えていたのですが、本当に実現したいのは痩せたいというよりも、健康でいたい、ということだよなぁと思い至り、何はともあれ体を動かすということを心がけるようになりました。

私は今の体重が90kg(1ヶ月で6キロ減りましたw)なのですけど、もともと幼少期からガリガリだのホネホネロックだのガイコツだの言われてたくらいなのです。それが母親の死後に食生活が一変するとあっという間に太っていきました。身長は15歳の頃から変わってないのですが、体重は23歳の頃で62キロでしたから、20年で30キロほど太った勘定になります。

ただ、太って何か困ったかというと実はそんなに無いのです。痩せてるほうがぶっちゃけ舐められてましたし。精神的にも太ると怒るのが疲れるので割とおおらかになりました。あと、小さい赤ちゃんとかは着ぐるみっぽく見えるらしく、電車の中とかで割と人気ですw あとデブってキャラとしてやりやすいとか、そういうメリットって実は多いのですね。何かといえば「デブ言うな!w」って笑いながら言ってれば済んじゃうみたいな。

とはいえ、さすがに今年44歳になるわけですが、体力的に厳しいというのと、小学生のときに痛めた膝への負担が大きいとか、あとは肩こりとか出てきたのです。実は30代半ばのほうが体重は低かったのですが毎日飲み歩いてた分、あちこち不健康だったのです。今は生活が穏やかになったので、そういう体調不良はずいぶんと減りました。そうすると、やはり単純に運動不足というのが一番大きく感じられるのです。

というわけで、変な負担のかからないようにじんわりと体を動かすようにしてます。機敏なデブwを目指して少しずつ運動量も増やしていけたらいいなぁ、とか思ってます。私の経営の師匠は随分前に仕事をリタイアして世界中をご夫婦で遊びまわってるのですけど、50代でトレッキングに目覚めてからジムに通ったりして体を鍛えて、今は60代ながら髪の色が白いこと以外は不健康な30代よりも若々しいくらいの勢いなので、私もそうなれたらいいなぁと思ったりしています。

…で、最近は数日遅れの筋肉痛にやられてますw 焦らずちょっとずつ着実に、ですね(^^)